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〈特集〉戦後80年 平和への祈りを声に乗せて(1)

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神奈川県秦野市

昭和20(1945)年8月15日、第二次世界大戦が終結した。あの日から今年で80年。戦争を体験した人が減っていく中、市内には、「平和」を未来へ伝えようと励む人たちがいる。

■言葉でつなぐ大切さ
「こんなにも長い間、戦争がない日常が続いていることって奇跡なんだと、心から思います」。力を込めて話すのは、昨年、本町中学校3年生だった娘の美鶴稀さんと共に親子ひろしま訪問団に参加した奥村美香さん。美鶴稀さんが小学校で広島・長崎の原爆について学んで以来、平和学習への関心が高まったため、申し込んだという。美鶴稀さんが、参加した5人の子供たちの中で最年長であったことから、美香さんは団長を務めた。
広島で過ごした3日間は、奥村さん母子にとってかけがえのない経験になったという。訪問中は、広島平和記念資料館の見学や被爆体験の講話、灯籠流しなどの行事に参加した。「灯籠が流れる様子はとても美しかったです。でも、あの川に多くの人が逃げ場を求めて飛び込んだと知って、胸が締め付けられました」と美香さんは振り返る。
2日目の朝に参列した平和記念式典。「願うだけでは、平和は訪れません」という広島市の小学生による「平和への誓い」を耳にして、母子は衝撃を受けた。今の自分たちにできることは願うことだと考えていた2人は、現地 に住む人の意識の高さに感心したという。「足を運んで、見て、聞いて、感じたからこそ、伝えることの大切さに気付いたんです」と美鶴稀さん。その思いを胸に、訪問の約1週間後に市が開催した「はだの平和の日のつどい」では、広島での体験を2人で発表し、一発の原子爆弾が一瞬にして日常を壊し、多くの人を苦しませたことや、平和な日常が特別なものであることを伝えた。

■思いを世界へ届ける
さらに1カ月後、美鶴稀さんは再び壇上に立っていた。中学生英語スピーチコンテストのステージである。テーマは、「世界平和」。普通に暮らせる日常が平和の上に成り立っていて、尊いものであることを訴えた。「日本は唯一の被爆国。だからこそ、核の恐ろしさを世界に伝える使命があります」。思いを英語に乗せることで、海外の人たちにも届いてほしいと祈りながら話したという。真剣なまなざしで語ったスピーチは、来場者から喝采を浴びた。
高校生になった今、美鶴稀さんは、世界に向けて平和の尊さを発信したいという気持ちがさらに強くなっている。来月には、県西地域を中心に、英語力に磨きをかけた高校生が集まるスピーチコンテストに出場予定だ。「平和は、誰かの願いだけでは守れません。だから私は、自分の言葉で伝え続けたいんです」。平和への祈りの象徴、〝折り鶴〟と同じ字で、「世界へ羽ばたいていてほしい」と名付けられた美鶴稀さん。母の思いも背負って再びステージに立つ。戦後80年、平和を願う思いは、確かに次の世代へと受け継がれている。

◎Photo

1 昨年のピースキャンドルナイトでメインキャンドルを点灯する奥村美香さん(曽屋、写真右)と、美鶴稀さん(写真左)

2 元安川で催される灯籠流し。訪問団はそれぞれの平和への思いを込めた

3 身ぶり手ぶりで平和への思いを伝えた「中学生英語スピーチコンテスト」では2位に輝いた

4 奥村さん家族が1年かけて折った千羽鶴。製作の時間は平和について語り合う機会に

5 訪問団が広島で受け取った被爆アオギリ2世の苗木。「学校で平和について考えるきっかけになれば」と願って美鶴稀さんが本町中学校に植樹した

       

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