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〈特集〉桜花爛漫(おうからんまん)の低山 弘法山公園(1)

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神奈川県秦野市

■地域がつなぐ桜のバトン
三つの山それぞれの桜が楽しめる「弘法山公園」。市が「市弘法山公園利活用方針」を策定し、キッチンカーの出店や、湘南の海が一望できる展望デッキを設置するなど、魅力が増しているハイキングスポットだ。そんな公園の桜には、懸命に守ろうとする地域の人がつなぐ歴史がある。

◎桜のイベントは広報紙8面で掲載

◇先人たちが残した名所
「半世紀以上たっても、ここの桜並木は変わらずきれいだね」。釈迦堂(しゃかんどう)や乳の井戸など、弘法大師の足跡が残る弘法山で、地元の寺の檀家(だんか)として公園内の草刈りや落ち葉拾いをしている今井さん。幼い頃を懐かしみながら、昭和40年(1965年)代に寺の住職が記した1冊の本を取り出してきた。
本によると、三つの山の桜は、明治38年(1905年)ごろ、日露戦争での勝利を記念して大根村の村長が苗木を寄付したことから始まったそうだ。その後、大正天皇の即位を記念して植樹された馬場道周辺の桜が成長し、桜の名所と呼ばれるに至ったと記されている。
しかし、太平洋戦争の終戦間際になると、燃料不足でほとんどが切り倒されてしまう事態に。戦争が終わり間もなく、秦野商工会議所による「弘法山と鶴巻の桜祭り」の開催や、市と地域による植樹など、街ぐるみで名所復活に取り組んだが、今度は心無い人に倒されたり折られたりして、足踏み状態が続いたという。
「それでも、桜も地域の人も負けなかったそうだよ」と今井さん。地道な努力が実り、今から70年前、市制が施行された頃には多くの桜が園内を包んだ。相模随一とうたわれたにぎわいも取り戻したそうだ。「露店も所狭しと並んでいたし、茶屋もあった。のど自慢大会も催されていたよ」。昭和50年(1975年)ごろからは「弘法山桜まつり」と名を変え毎年開催。権現山山頂には遊具が置かれ、子供の遊び場としても親しまれる公園となった。
しかし、市が実施した調査によると、平成30年(2018年)から来園者数が増加してきているものの、市民による利用が高くないことが分かっている。「展望デッキもできたし、市民がふらっと景色を見に来られる場所になるとうれしいね」
昭和時代に植樹された桜のほとんどが、寿命約60年のソメイヨシノ。現在、市と地域が協力して植え替えに取り組んでいる。「新しい世代の桜がみんなの興味を引けるといいな」。今井さんは、かつてのように園内が地元の花見客でにぎわうことを願っている。


1 昭和51年(1976年)の権現山。花見客の他に、散歩する人や遊具で遊ぶ子供の姿が


2 広報はだの昭和59年(1984年)4月1日号「弘法山桜まつり」の記事。3日間にわたる大きなイベントだった


3 昨年12月に造られた弘法山山頂の展望デッキ。権現山では、今月末にバードサンクチュアリの改修が完了予定


4 今井忠春さん(74歳・南矢名)。弘法山を「幼い頃は庭のような存在だった」と話す

問い合わせ:観光振興課
【電話】82-9036

       

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