八重桜やバラと肩を並べる秦野の特産品、カーネーション。60品種以上を栽培する市内の年間出荷数は、推定で80万本に及ぶ。母の日に伝えたい「ありがとう」をサポートするのは、この街の生産者たちだ。
●昭和から続く名産品
「この時期は1年で一番忙しいですね」。JAはだのカーネーション部の山口明男部長(68歳・堀西)は、額の汗を拭いながら話す。12日に迎える母の日に備え、カーネーション農家は出荷のピーク。25本ごとの束にまとめる作業などで大忙しだ。育てられた花は市場に出荷する他、「はだのじばさんず」や関東圏内の大型スーパーで販売される。
秦野でカーネーション栽培が始まったのは昭和8年頃。葉タバコ栽培で培った土作りの技術は花の栽培と相性が良く、葉タバコの生産が減少し始めた昭和30年代に、葉タバコ栽培から転作した農家が多かったそうだ。「最盛期ではカーネーション農家が200軒近くあり、秦野駅周辺には多くの農家があったそうです」。鉄道を使い、当時から都内へのアクセスが良かった秦野。鮮度を保ったまま早く市場に届く秦野のカーネーションは、いつしか名産品となっていった。
●一人でも多くの人へ
「まっすぐ、しなやかに育てるためには、手間を惜しまないですよ」と山口部長。茎が曲がらないようにネットを張ったり、湿度や病害虫の対策をしたりと、毎年試行錯誤を繰り返す。「なかなか思い通りに育たないところが楽しいんです」と笑う。
とはいえ、山口部長のように苦難を買って出る農家は多くはない。市内のカーネーション農家の数は、高齢化や物価高騰などで年々減り、作付け農家の数も今では8軒に。多くの農家が辞めていく中、山口部長をはじめとした農家がカーネーションを作り続けるのは、ひとえに多くの人に手に取ってもらいたいから。「母の日を機に、これまで花になじみのなかった人にも知ってもらいたいですね」
●世界で一つだけの組み合わせ
山口部長は、「子供の頃から親しんでほしい」と、毎年、校外授業で農園を訪れる小学生に、お気に入りのカーネーションを選んでもらっているそうだ。「自分で選んだ花をうれしそうに持つ姿を見ると、思わずこちらも口元が緩みます」
色や種類が豊富なのもカーネーションの魅力。母の日によく使われる赤やピンク以外に、青や紫などの変わり種の色も。また、一輪咲きだけでなく、1本の茎から複数の花を咲かすスプレー咲きなどバリエーションが豊富で、組み合わせは枚挙にいとまがない。「色によって花言葉も異なるので、伝えたい思いを色で表現してみては」と山口部長はほほ笑む。
母の日は日頃の感謝の気持ちを素直に伝えられる特別な日。今年は、秦野のカーネーションで「ありがとう」を伝えてみては。
1 出荷へ向け、カーネーションを収穫する山口部長。消費者に届く前に花が開きすぎないよう、一時的に冷蔵庫で保管する
2 昭和30年頃の温室。戦後、市内で温室栽培を行う農家が増えていった
3 手に取る人の笑顔を思い浮かべ、ネットは一本ずつ丁寧に
※詳細は広報紙2ページの写真をご覧ください。
《母の日とカーネーション》
アメリカの教会で、娘が亡き母をしのび、母が好きだった白いカーネーションを贈ったことが起源とされています。その後、母が健在の場合は赤いカーネーション、亡くなっている場合は白いカーネーションを贈る風習が広まりました。
《カーネーションの花言葉》
全体:無垢で深い愛
赤:母への愛、真実の愛など
白:純潔の愛、尊敬など
ピンク:感謝、温かい心など
黄:友情、美など
オレンジ:純粋な愛、清らかな慕情など
紫:誇り、気品など
青:永遠の幸福
■ありがとうを「製菓(せいか)」に込めて
◎昨年の母の日ロール
市内に、カーネーションをモチーフとした母の日限定のロールケーキを作っている老舗洋菓子店がある。秦野産のいちごを使い、スポンジやクリームでピンクのカーネーションを表現。メッセージプレートの後ろには、食用のカーネーションが添えられている。
「気軽に買えて、家族で分け合って食べられるものを目指して作っています」。そう語るのは、代表の水島しづ江さん(74歳・栄町)。実家が市内のカーネーション農家だった水島さんは、母の日が近くなると、家の手伝いで出荷に追われ、母親に花を贈ることはできなかったという。そんな経験から、「家中が笑顔であふれる母の日にしてもらえれば」という思いで、母の日ロールを作ったそうだ。
毎年水島さんが見掛けるのは、お父さんと一緒に母の日ロールを買う子供の姿。「ロールケーキをもらったお母さんの笑顔と、家族で食べる姿を思い浮かべてうれしくなります」
水島さんの思いと家族からの感謝がこもった母の日ロールは、今年もお母さんを笑顔にする。
◎温かみのある店舗でお出迎え